= Cruise Diary =
■2008/10/23 - インタビュー04「都市・建築における無名性の価値、有名性の価値」/南後由和 前半
今回は「Querycruise」の講師を勤めてくださる社会学者の南後由和さんにインタビューを行った。近年、建築界での活躍も目覚ましく、「Round about journal」や「10+1」そして最新号のJAにも関わっておられます。
この前半では、以外にも大阪出身ということで見知った場所の話も交えつつ、なぜ社会学を専攻され、その後どのように都市、建築という領域へと歩みを進めていかれたのかを伺った。

Q:大阪ご出身ということですが。

はい、堺市の泉北ニュータウンというところです。堺の旧市街ではなく、郊外のニュータウンで、学部は神戸大学でした。最初は自分の興味のある分野が、哲学、社会学、心理学なのかの区別はあまりついていなかったんですが、専攻を決める3年生の時点では、マスコミュニケーションやマスメディア、都市の群衆や大衆文化など、マスが付くものに関心があるということがわかってきていたので、そのマスを分析対象とする社会学を選択しました。

京都でのレクチャーということで多少詳しく言いますと、泉北ニュータウンからは難波まで直通の電車が走っています。その間で、古墳群、臨海工業地帯、西成の「あいりん」地区などを車窓から目にしながら難波まで行くので、色々考えさせられるわけですね。一方、電車の駅と駅でいえば、郊外と都心のあいだを行ったり来たりしていたわけです。電車から降り立った難波、心斎橋、梅田などの場所に感じる空気感や、地元とは違う高揚感の実体とは一体何なんだろうかと、小さい頃から気にはなっていました。今にして思えば、互いに匿名的な関係にある人びとが寄り集まって生まれるダイナミズムや現象自体を客観的に分析することに興味を持っていたのだと思います。

このように、何となく都市論をやりたいなと思っていた3年生の2000年に、アンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』の翻訳が出たのですが、分厚い本で目にとまりやすかったということもあり、たまたま梅田の紀伊國屋で手に取りました。学生には高価な本だったのですが、タイトルや目次に魅かれて、思い切って購入し、何度も読みました。
それまで、いわゆる建築家とかプランナーと呼ばれる人が設計してつくり出す物理的空間だけが基本的には空間だと思っていたのですが、ルフェーヴルは、中立的で透明な容器として空間を捉えることはしませんでした。たとえば、権力、知、規範が空間化されていることや、既存の地図などによって空間の知覚や経験が規定されていることを見抜く一方で、ユーザーのアクティヴィティが空間を改変する可能性などを見出したように、知覚、思考、行為が一体となった社会を空間性として捉え、さまざまな主体が空間を生産する様態を動態的に記述しようとしたのです。それこそアトリエ・ワンの塚本由晴さんが最近言っているような、人間の振る舞いだけでなく生命、経済、エネルギーの振る舞い自体も空間を生産する一つのエージェントとして見なす、ということにもつながっています。大袈裟かもしれませんが、ルフェーヴルの本によって、僕の今までの認識というかモノの考え方が、がらっと変わるような経験を味わいました。ただし、ルフェーヴル自身はオーソドックスな社会学者ではなく、学部時代にも授業で登場することはない存在でした。そこでこの人はどういう学説史的位置にあるのかを調べ始めると、上野俊哉さん、花田達朗さん、毛利嘉孝さん、吉原直樹さん、吉見俊哉さん、若林幹夫さんなどの社会学系の人たちが、メディア論、地理学などと関係づけながらルフェーヴルを受容、紹介していることを知りました。そして卒業論文では、ルフェーヴルの日常生活批判や都市・空間論を読み込み、それがシカゴ学派の都市社会学から、マニュエル・カステルらの新都市社会学への転回においてどう位置づけられるのか、またそれが場所論をめぐって、デヴィッド・ハーヴェイやエドワード・W・ソジャなどのポストモダン地理学やカルチュラル・スタディーズという隣接する都市・空間論のなかにおいて、どのような射程を持ちうるかを探るという学説史的な研究をやりました。

Q:大学院からは東京大学に進学され、学際情報学府に籍を置かれ田中純氏の研究室に入られます。なぜ社会学部ではなかったのでしょうか?

先ほど挙げた先生方の多くは、『10+1』によく登場されていました。僕にとって『10+1』の影響は大きく、多木浩二さんの建築論はもちろん、工学系の人の都市・建築論やリサーチなどもよく読んでいましたが、そのなかでディシプリンの垣根をものともせず、それらを縦横無尽に横断して編み上げる田中純先生の文章が、とても刺激的でした。またその頃、田中先生連載の『都市表象分析T』や若林先生の『都市のアレゴリー』も単行本化されていました。僕が大学院に進学したのは、情報学環・学際情報学府が出来て3年目だったんですけど、指導教員として志望した田中先生がおられたこと、それに博士課程で副指導教員をお願いした吉見先生や、同じくルフェーヴルと公共圏に関する本をまとめられた花田先生らがおられたことが僕にとっては魅力的でした。学部の時には、ルフェーヴルの都市・空間論を中心とした学説史的な勉強をしていたのですが、もう少し具体的なレベルで都市空間をフィールドワークするなり、分析したいと思っていました。その具体的なレベルとして、僕の場合は建築に興味を持ちました。

先ほど神戸大学出身と言いましたが、キャンパス周辺には六甲の集合住宅とか、作品集にはあまり出ないような、安藤さんの昔の建築もたくさんあります。ちょうどその頃というのは『Casa Brutus』が出てきた頃で、『建築MAP』の京都、大阪/神戸版も出揃っていたので、趣味として建築を見て回り、メディアを通じて作品としての建築を見るまなざしを受容していました。そのようにして、研究とは別に、文化資本のようなものとして建築を消費していたと言えます。

けれども、ルフェーヴルの議論では、基本的にはル・コルビジエなどの建築家が、均質的な空間を作り上げるテクノクラートやイデオローグとして問題視される、建築家批判が展開されるわけです。つまり、僕の中では、ルフェーヴルなどの研究を通した、建築家をめぐるエリート主義への批判意識というものがある一方で、建築を文化資本として消費して楽しむ自分がいるというように、アンビバレントな関係があったんです。さらには、従来の社会学というのはどうしても無名性や建物の集合に関心があり、作品としての建築ということにはあまり関心を向けていませんでした。

そういうこともあって、対象を建築のレベルにまで降ろそうと思い、工学部系の建築や都市計画の本などを右も左もわからないまま、回り道をしながら読み始めました。そういう意味でも、既存の枠組みにはおさまりきらない「学際」を掲げ、理系の研究者も共存する研究科は居心地がよさそうなところに映ったんですよ。

まず修士課程では、そもそもルフェーヴルが当時(60・70年代)の建築界でどう受容されたかを調べてみたいと思ったんです。でも、ルフェーヴルの議論から建築までは距離があるので、その時に僕が媒介項として置いたのが、シュチアシオニストのなかでも、オランダ人のコンスタントのプロジェクト「ニューバビロン」でした。日本ではすでにギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』やシュチアシオニストの機関誌も全部翻訳が出ていました。だから社会思想史とかボードリヤールとかにつながる消費社会論の文脈では定着していたんですけど、建築の分野では紹介文などが散在的に存在しているだけでした。それでルフェーヴルとも私的に交流があったコンスタントのニューバビロンとルフェーヴルの都市・空間論との関係や、それを経由して60年代のチームXのアルド・ヴァン・アイク、スミッソン夫妻、ヨナ・フリードマンらやその後のアーキグラムなどに与えた影響を探り、シチュアシオニストと同時代の建築界との連続性や差異を考えることを修士論文でやりました。


Q:南後さんは博士課程に在籍中に『10+1』の40号で「建築家の有名性」についてお話しされています。有名性の議論とルフェーヴルの議論はどのようにつながっているのでしょうか。

ルフェーヴルというのは、基本的に先のコルビジエなんかを抑圧的で抽象的な空間を生産する主体として批判していくんです。ルフェーヴルは本質的な計画主体として建築家を批判するけれど、建築家の存立様態や、それこそ建築家の表象は、単純なものでも自律したものではないし、コルビジエが語る思想や概念自体が純粋に空間化されるわけではありません。建築は当たり前ですけど集団的生産物で、事務所内、設計組織の属性のあいだにもいろんなヒエラルキーがあるし、クライアント、コンペ、マスメディアなどの色々な制約条件があるわけです。そういう意味では、社会学で言う建築界の「ハビトゥス」へと肉薄する必要があります。

その点、ルフェーヴル自身は、建築の生きられ方の話になると、物理的な空間の使用の多様性への着目に終始しがちだったように思います。つまり、建築へ向けられるまなざし、建築家の社会的位置、あるいは建築をめぐるさまざまな言説自体の生きられ方というのも合わせて考えていく必要があると感じていました。もちろん、ルフェーヴルの空間論の枠組み自体はそれらを捉える射程を持っているのですが。
しかも、自分自身は有名建築家を入口として建築に触れていったというのがある。ただし、たとえば『建築MAP』とか『Casa Brutus』というメディアは、見るべき作品としての建築をマッピングすることによって、有名と無名、図と地の関係をつくり出していっているわけですよね。図としての建築の周辺というのは、当然ながら地として見えなくなっているわけです。だからその図と地の関係とか、有名と無名の関係自体を、連動したものとして捉えないといけないのではという思いを強くするようになりました。それで、今まではどちらかというとシチュアシオニストやグラフィティ文化など、無名性や匿名性に関するものに研究関心があったのですが、現在執筆中の博士論文では「戦後日本における建築家の有名性の生産・流通・消費に関する研究」をテーマにしています。

ただし、建築家の有名性を、記号論として扱おうとしているわけではありません。建築ジャーナリズムの形式やメディア環境の変化はもちろん、大きくは近代、国民国家、戦後民主主義、消費社会とも有名性は関係しています。他方で、有名性は建築界が歴史的に抱えてきたさまざまなヒエラルキーや構造的問題などとも表裏一体となっています。それにクライアントも信頼や顕示的消費として、建築家の有名性というか署名を欲望しているという側面もあります。

建築史では、建築家と作品がセットで単線的に捉えられ、そこから様式や時代背景が語られがちですが、僕の場合は、そのセットの周りにあるコンペとかマスメディア、クライアントというもののネットワークを重層的に捉えることによって、建築史を斜めに読み替えていこうとしています。たとえば丹下さんのクライアントの属性が50年代、60年代、70年代でどう変わってきたか、またそれが建築のスケール、ビルディングタイプ、地理的分布にどのように影響を及ぼしてきたか、時代ごとに有名性を支える条件がどのように変質してきたか、などです。建築家の有名性の特徴のひとつは、有名性がメディアや、それによって駆動される建築界の中だけで流通するわけではなくて、クライアントなどと接点を持ちながら、都市の中に物理的に空間化され、社会に埋め込まれていくところにあると思います。まさに、建築家の有名性は空間化された表象としてあります。そのような都市とメディアが交わるところに位置づく有名性をめぐるダイナミズムを捉えるには、社会学者のピエール・ブルデューやハワード・S・ベッカーが言う「芸術界/場」の議論を援用して建築界という枠組みの細部を詳察しつつ、それをルフェーヴル的な都市・空間論のアプローチと接続し、拓いていくことが有効だと考えています。そういう意味では、卒業論文での関心が現在まで、ゆるやかにつながっていると思います。

後編へ・・・

南後由和(なんごよしかず)
1979年大阪府生まれ。社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。東京大学大学院情報学環助教。
共著に『都市空間の地理学』、『路上のエスノグラフィ――ちんどん屋からグラフィティまで』、『M×M 2007――建築家が語る「都市への処方」』など。

講義日程
11/23(日)16:00〜、11/24(月)祝日13:30〜、12/14(土)16:00〜、1/18(日)16:00〜、3/1(日)16:00〜

受講者募集中・・・Querycruiseホームページ>>

Interviewed by RAD/Kawakatsu
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